GAME OVERの先
―― ピシャン・・・・・・ どこからか波紋を描く水音がした。 水面に広がる淡いそれに同調するように、ゆるゆると思考が混沌とした闇の中で形を作る。 (・・・・おれ、は・・・・・・・・) どうなった? 散逸していた意識がスローペースながら集まってきてはじめて、リュートは己にそう問いかけた。 どうなった? 何故、こんなところにいる? そもそもここは何処だというのだろうか? 闇が広がっているように感じるが、視界が闇に染まっているというよりは視界そのものが存在しないように感じる。 少なくともリュートが生きてきた時間の中では感じた事のない空間だ。 と、そこまで考えてふっと脳裏に朱が散った。 (・・・・ああ、そう言えば刺されたのか。) 飛び散る赤。 刺された時は痛みというより衝撃という方が近いんだな、とまるで他人事のように思った事を思いだした。 嫌になるほどのリアル。 あれは確かに現実だった。 (・・・・だとしたら俺は死んだのか?) ざわっと自分を囲む闇が濃くなったような気がした。 まるでそうだとでもいうかのように。 (可能性としては0じゃないしな。) ―― あの世界が『何なのか』は知っている。 だから本来であればきっと『本来的な意味で死ぬ』事はないはずだが、あの世界は特別だから。 (酔狂な物を作ったものだ。) 死ぬかも知れないという焦りよりも、漠然とした呆れを感じた。 五感の全てを電気信号で再現してみせるなど、酔狂と称さずにどうすればいいのか。 白い壁のハイツと、夕暮れの風、人の笑い声と、お子様味覚で素朴な料理・・・・。 そして ―― 『リュート!!』 ピシャン・・・・・・ 悲鳴と言うに相応しい声が波紋と共に闇に響いた。 重い衝撃と焼け付くような痛みを感じた時には、もう視界は赤で染まっていた。 そして崩れ落ちる身体に必死に伸ばされる細い腕。 『リュート!ねえ・・なに、これ・・・・』 降り注ぐ細かいスプリンクラーの水に縁取られた少女の頬には、明らかにそれと違う滴が流れていた。 目の前の光景を信じられず受け入れられないというように顔をゆがめた様は、見ている方が苦しくなるほど痛々しくて。 (ああ、だから酷い顔だって言ってるじゃないですか・・・・) いつもみたいに勝ち気に笑ってくれればいい、と思いながら心のどこかでそれは無理だなと苦笑する。 彼女は ―― シアは、存外情に厚い。 人の温もりを求める少し寂しい心を抱えて、それでも明るく笑う事を常としている少女だから。 そのぐらいの事が見抜ける程には側に居た。 あの白くて少し古いハイツで、楽しそうに働くシアを見つめていた。 だから。 『リュートっ!』 (―― ほら、もう泣かないでください。) ―― ピシャン・・・・・ 波紋が広がって、繰り返されていたシアの顔が歪む。 その姿に向かってリュートは手を伸ばした。 実際に手を伸ばしたかどうかはわからないのがとてももどかしい。 けれど、いつの間にか自分を囲んでいたどろりとした闇が薄くなっているように感じた。 ―― ピシャン・・・・・・ 波紋に記憶が揺れ、その先に淡い光りが射す。 それが何を意味するのか、そこまでは考えつかなかった。 ただ、手を伸ばす。 次第に一筋二筋と増えていく光に白濁していく闇の中で、リュートが考えていたのはただひとつ。 (貴女にはそんな顔は似合わないんですよ。) やり込められて不満げに唸っている顔でも、料理を褒められて不意に無邪気に笑った顔でもなんでもいい。 ただあんなに痛々しい顔で泣くシアをそのままにしておきたくもなかった。 そして同時に幾重にも零れ落ちたあのシアの涙を、自分以外の者に拭わせるのも、絶対に嫌だった。 (だから ―― !) こんなところで死んでいるわけにはいかないのだ。 はっきりとそう自覚した途端、緩やかに増えていた光りが、爆発するように一気に広がって・・・・・・・ 「・・・み、君、おい!」 最初に目に入ったのは真っ白い天井だった。 開けたばかりの視界が強い光で焼かれるような感覚にリュートは呻く。 「・・・・・・・うっ・・・・」 「反応あり!!目が覚めたぞ!!」 周囲で上がった声を朧気に認識しながら、リュートは目線だけを何とか動かす。 やっと正常に動き始めたそれで確認すれば、自分は驚く程大げさな治療用のベッドに寝かされていて、周りでは何やら興奮気味な白衣を着た人々が「接続が・・・」「脳へのダメージはないか」などと話していた。 その会話を聞きながら、チャンネルが合うように記憶が戻ってくる。 『現実の』それが。 ああ、そうだったのかと納得する部分がある反面、残った空白部分にしばし回らない思考を傾けていると、不意に白衣の男の一人が覗きこんできた。 「おい、君。」 「・・・は、い?」 「目覚めたばかりでこんな事を言うのも何だが、少し回復をしたら『あちら』の話を聞かせてくれ。まだ情報が少ないんだ。」 「かまい、ません。・・・ですが」 上手く回らない舌をなんとか動かしてリュートは応えた。 「ですが?どうかしたのか?」 「・・い、つ、もどれます、か?」 「戻るって、またあそこに戻るつもりなのか!?」 ぎょっとしたように声を上げる研究員の男に、リュートは目線だけで頷いた。 「は、い。」 「はい、って、こんだけ酷い目にあったのにか?」 信じられないと言わんばかりの彼の視線にリュートは形にならない苦笑を浮かべた。 普通に考えれば彼の言う事はもっともだ。 けれど。 「ちょ・・と、わけがありまして。」 きっと今もあの空間で泣いているであろう、彼女にもう一度会うために。 驚いた顔をしている研究員の向こうに、あの白い古ぼけたハイツを背に立つシアを見ながらリュートは小さく笑ったのだった。 〜 END 〜 |